短歌人を読む

結社誌「短歌人」に掲載された歌を読んで感想を書きます



2010年10月4日月曜日

私はゴジラ

原稿を返され納得出来なくて地下鉄で哭く私はゴジラ
(天瀬夕梨絵)【短歌人 10月号 76頁】

この作者は、かなり強い自己意識を持つ歌を作る、と僕は思っている。
天瀬夕梨絵の歌は時にひとりよがりにも思えるし、言葉を振り回しすぎだ、とも思う。
さらに、この人は一体、読み手のことを考えているのだろうか、と思うことすらある。

以上のことは明らかに欠点なのだが、不思議なことに文学では、マイナスがプラスになるという現象が起きることがある。

僕は「短歌人」を読むとき、頭から順に読むのではなく、一回目はだいたい決まった人たちの名前を探して読む。
さて、あの人の今月の歌は何だろう、などとページをめくるわけだ。
その「あの人」たちの中に天瀬夕梨絵がいる。
つまり、楽しみにしているのだ。

なんというか、天瀬夕梨絵の歌は他の並んでいる歌と比べて空気が違う。
何気なく短歌人のページをめくっていても、ずばっと目に飛び込んできたりするのが天瀬夕梨絵の歌である。
ようするに天瀬夕梨絵の歌は実に立つ。
もちろん失敗してるな、と思うこともあるが、しかしこう言うこともできるだろう。
「失敗しないのは凡百の作り手である」
と。

今回あげた歌は、天瀬夕梨絵らしさもありつつ、言葉の振り回し方は読み手をすっとばすほどではなくて、いい歌だと思う。
太く、勢いのある書の払いを見たような、さわやかさを感じた。
「地下鉄で哭く私はゴジラ」なんて、かなりいいんじゃないか。
地下鉄という公共の空間で、人目をはばからず、感情をむき出しにしている作中主体。
それだけだと近寄りがたいが、これを「ゴジラ」という言葉に乗せることによって、コミカルにし、読み手をぎゅっと引っ張る力がある。

この一連の一首目もあげておこう。
わたくしは美貌の女流作家として売り出したいと正直に言う

この「美貌の女流作家」から「ゴジラ」へと躊躇なく変身できる<私>の自在さというか強さというか、がむしゃらさが天瀬夕梨絵の特徴のひとつだろう。





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