あめ色の鮎ふつくらと香ばしく皿にのこりし骨もうつくし
(笠原多香)【短歌人11月号 会員2 90頁】
おもしろい。
一読、作者の視線の詰め方に感心する。
おそらく多くは、食べる前の状態、食べているときの味までしか歌の注意力は届かないのだが、作者は食したあとまでこれが持続した。
これが僕の感心である。
美し、美味し鮎は骨までうつくしい。なんと、食欲が刺激される歌であろうか。
少し、詳しく読んでみよう。
初句から二句にかけての「あめ色の鮎」で、読者の視覚をまず呼び起こし、同時に具体=鮎の提示によって、イメージは絞られる、安定する。
つづけて「ふつくらと香ばしく」の語句、まず「ふつくらと」によって一度安定した視覚イメージは、わずかにゆるみ、ほどけるようにして感覚に立体感が出てくる。
さらに「香ばしく」とあるから、ここで歌は、読者の味覚・嗅覚を撫でてゆくのである。
ここまでで上三句である。以降は下二句であるが、上三句と下二句の間には省略があり、ささやかな省略だが、しかし大胆と僕は思う。
下二句「皿にのこりし骨もうつくし」。
上三句で提示された鮎は、今、既にその姿はもうないと言っている。
ここで、これまで読者を刺激した感覚は手品のようにてのひらの上で消されてしまうのだが、しかし代わりに、意外なものが現われる。
鮎の「骨」である。この骨はおそらく上品に、きれいに食べられたあとの骨で、骨でありながら、鮎のかたちをしっかりと伝えるものだ、と想像できる。
そして作中主体は、これにうつくしさを見て心を奪われる。このとき読者は目を見開く。
僕も目を見開いた。
美味し歌である、実に。
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