短歌人を読む

結社誌「短歌人」に掲載された歌を読んで感想を書きます



2010年9月6日月曜日

夜のみぎは

外に脱ぎしサンダルひどく湿りをり夜のみぎはを歩きしごとく
(松岡圭子)[短歌人 9月号 会員2 72頁]

誌面上では「外」は「と」の読み仮名が振られている。
まずは次のことを確認しておこう。
「脱ぎし」の「し」、「歩きし」の「し」は、助動詞「き」の連体形「し」である。
助動詞「き」には、過去の事実や回想を述べる意味があり、「外に脱ぎし」は「外に脱いだ」というふうにわかればいい。
「みぎは」は現代仮名遣いでは「みぎわ」であり、みずぎわの意味。つまり「陸地の、水に接する所」(広辞苑第五版)である。
これでとりあえず、歌の意味についてはわかると思う。

この歌にはひとつ謎がある。
謎とはつまり、「なぜ、サンダルはひどく湿っているのか?」
この謎がおそらくこの歌の核であり、読みどころとなる。

「夜のみぎはを歩きしごとく」であるから、サンダルが湿っているのは、夜のみぎわを歩いてきたからではない。
しかし「夜のみぎは」には、何かしらの心理があらわれている。
「みぎは」は、上の説明の通り「陸地の、水に接する所」であり、陸と水の境界線だ。境界線には、こちら側を許可し、あちら側を禁止するという意味をここでは考えたい。
「夜の」は、時間的な夜という意味だけでなく、もう少し意味を加えてもいいかもしれない。
たとえば、人から隠したい、表にはしたくない、というような。
つまり、歌の主体は、行ってはならないところへ、その境界線上で逡巡し、結局あちら側へは行かずに帰ってきた。
その心理・葛藤が、サンダルに湿りとして残っている。
(このような心理・葛藤を起こす具体的なドラマは、読み手それぞれが想像していいと思うが、評としては控える。)
「サンダル」には手軽・近い・日常というイメージがあり、このような重い意味づけを拒むところがあるが、危機は案外近くにある、ということもあるか。

「夜のみぎはを歩きしごとく」という表現がうつくしい。





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