母に告げし最後の花の名前ゆゑわれの記憶の園に咲きをり
(伊東一如)【短歌人 9月号 82頁】
この一首前が、
「酔芙蓉」と母に告げたり たまきはる命のきはの花の名あはれとある。
つまり、母に告げた最後の花というのは「酔芙蓉」ということになる。
僕は花にとても疎いのだが調べると「酔芙蓉」という花は、朝方に白い花を咲かせ、午後になるとピンクになり、夜にかけてさらに濃くなって赤くなるのだという。
母はその花を「見た」のか「匂った」のかは、わからないが、僕は「見た」のだと想像する、夕方の赤く染まっていく酔芙蓉の花を。
「母に告げたり」から「母に告げし」とあるから、一首から一首へ進む間にここで決定的な変化が訪れているのはわかると思う。
「われの記憶の園に咲きをり」
ここでの「をり」は現時点よりもちょっと先までの継続の状態を匂わせる。そして「今」という時間が「ちょっと先まで」の時間にたどりつくときさらに「そのちょっと先まで」の時間が主体の前に立ちあらわれるだろう。
つまりこの「をり」は主体の感覚からすれば、ほとんど永遠の継続となる。
失うと同時に永遠に咲き続けるであろう花。
この感覚が、悲しく、そして美しい。
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