ヒトはいつでもどこかにゐなければならないのでいまイスの上なり
(西尾正美) 【短歌人 9月号 会員2 83頁】
当たり前のことすぎて普段は意識にも上らないことを、改めて言われるとハッとする。
そういう系統の歌があって、つまり、これはそういう系統の歌である。
たしかにヒトは、いつでもどこかにはいなければならぬ。
この歌の流れは、定型に頼りきって読んでしまうと、すんなり入ってこないかもしれない。
そういうときは、とりあえず頭からずらずらと読んで、ごくりと内に入れてしまうのがよい。
僕は、句切りは次のように読んだ。
「ヒトは/いつでもどこかに/ゐなければ/ならないのでいま/イスの上なり」真ん中の「ゐなければ」、最後の「イスの上なり」の各箇所は定型の音にはまっている。
崩れつつも、短歌の調べは土俵に残っている、といえる。
もちろん句切りについては、次のようにも読めるだろう。
「ヒトはいつ/でもどこかに/ゐなければ/ならないのでいま/イスの上なり」どちらが正解というのでもない。
読者は、かなり身勝手に、自分が気持ちのよくなる読み方をしてよいと思う。
さて。
一読、僕はいい歌と思ったが、二読、三読するうちに最後の「イスの上なり」が気にかかってきた。
これは「イスに座っているのか」それとも「イスの上に立っているのか」。
いや、印象では7割ほど「座っている」だろうとは思うけれど、「イスの上なり」という表現は、やや状態を言い切れていないように思う。
「イスに座りをり」とすれば状態は明確になるが、八音となり定型の音からは一音、多くなる。(さらにおもしろい語句ではない)
おそらく作者は悩んだろう、と想像する。
僕も悩む。
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