構内の雑踏行くとき強固なる意志もて行けば道展けゆく
(小林恵四郎) 【短歌人 9月号 会員2 73頁】
おもしろい。
普通は、雑踏をいくとき、人の流れに乗ろうとする。
間違って、進行方向とは逆の流れに会ってしまうと、おろおろと狼狽すらしてしまう。
そのように主体も一瞬ひるんだに違いない。
しかし、そこから「この、ひるみの気持ちは一体どこから来るのか?」と内省したのだろう。
導き出されるのは、「社会」と「個」の関係だ。
「空気を読め」というような社会が、私(=個)に、ひるみを生じさせている。
空気を読んで行動するほうが楽ではあるが、しかし、、、
このとき主体は、日常の場面で反撃をはじめたのだ。「強固なる意志」を持って。
意志が強固でなくてはならないのは、対峙しているものがもちろん「社会」だからだ。
そして進むと、どうだろう、自分のための道がひらけてゆく。
というささやかな勝利を詠んだ歌である。
遠くに、モーセの海割りも思わせるのは、「文学」と「文学」の響き合いでしょう。
立場を変えると、流れに逆らって向かってくるやつ、が歌われている、ことになる。
日常で相対したら、迷惑だ、と思うが、この思考は「社会」に属するほうの考え方だ。
「文学は、社会の側につくのではなく徹底的に個の側につかなければならない」
というのは、受け売りだが、僕はこれを支持する。
よって、この歌をよい歌だと思う。
また同じ作者で、
青年はどうぞと席を譲り呉る今し獲りあいに負けたる我にという歌もあり、「負けたる我」という自己認識を持てるところに、僕は作者への信頼がある。
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