短歌人を読む

結社誌「短歌人」に掲載された歌を読んで感想を書きます



2010年9月12日日曜日

おしっこをする

五年後のことで不安になりながらお風呂の中でおしっこをする
(木嶋章夫)【短歌人 9月号 会員2 87頁】

不安とは、もともとかたちが漠然としている。
今日や明日にもで降りかかってくる事柄についての不安は、漠然としているが濃いといえるだろう。
では「五年後のこと」についての不安はどうだろうか、と考えると、薄いといえる。
具体的な「こと」は書かれていないから、五年後の何によって不安なのか、読者にはわからない。
だから、「作中主体にとってもよくわからないが、けれど近い将来、自分に降りかかってくるだろう、だろうというけれどほとんど確実な予感のする、でもやっぱり何かはわからないもの、こと、そして今の自分よりのそのときの自分は、きっと良くない」という感じが「五年後のこと」という表現になっている、と見る。

「五年後」という表現について考える。
たとえばこれが「一年後」だと、進級や人事の異動などのイメージを呼ぶかと思う。
「三年後」だと卒業で、学生期間の終わり。
「十年後」では、遠すぎる。
また初句五音という定型の要請から候補は、「二年後の」「四年後の」「五年後の」「九年後の」があったと思う。
「九年後」は、やはり遠すぎるので、実質的には「二年後」「四年後」「五年後」の3つだろう。
そこで作者は「五年後」を選択した。
正解・不正解というのはない。
個人的には「五」という数字はきりがよい、と思うので「五」より一欠けている「四」として「四年後」→「不安」という言葉の呼び出しというか結びつきを考えるが、これはこれで、あざといと見る意見もあると思う。

歌にもどる。
作中主体は、漠然としているがでも近い将来において確実に起こると思っている、しかしよくわからないことについての不安に苛まされている。
そういった不安を抱えながら主体のする行動というのが後半の「お風呂の中でおしっこをする」である。
これは子どもっぽい行いであるし、子どもっぽい表現だ。さらにこの歌の、読者が一番目につくところでもある。
この「子どもっぽさ」に、僕は母性を求める心を感じる。
「お風呂の中」は、(僕の考えが)俗っぽいが「母親の胎内」を連想するし「おしっこ」は原始的なストレス解消の手段だ。
「お風呂の中でおしっこをする」という行い・表現は、僕は十分に説得力があると思う。

「求める」ということは、今、「得られていない」ということだ。
というふうに考えると、せつない。
女性よりも男性のほうがわかる歌ではないか。

この歌は、大人の男の「男の子的」なものをうたった歌である。





人気ブログランキングへ
おもしろい! と思ったら押してください。
よかった、と思ったら押してください。
応援する気持ちが出来たら押してください。

WebMoney ぷちカンパ
カンパ絶賛受付中!!
カンパされたお金は僕が本を買ったり、
ご飯を食べたりと有意義に使います。
ブログを書く気力も貯まります。

0 件のコメント:

コメントを投稿