短歌人を読む

結社誌「短歌人」に掲載された歌を読んで感想を書きます



2010年9月16日木曜日

東京の人

あいさつを短く済ませ曇天に傘を持たない東京の人
(黒崎聡美)【短歌人 9月号 会員2 92頁】

この一首を読んで、僕はさびしさを感じた。
それは「あいさつを短く済ませ」る行為や「曇天」という状況からも構成されるが、何より「東京の人」という認識から来る。

言葉のおもしろさのひとつに、実際に文字で表現されていることと別に、不意にその裏側も見せるところ、がある。
これを意味・存在の「立体表現」と言うとすると、この歌はその「立体表現」がなされている。
つまり、作中主体は「傘を持っている」はずであり「東京の人」ではない。そして今、「傘を持たない東京の人」を目の前にしているのである。

「東京の人」という認識は東京の人はしないだろう。
しかし「都会」と「田舎」という軸を持ってくると話はあまりおもしろくない。
ここでは「他人」と「自分」にある、普段から何となくあることはわかっているがそう意識もしていない「境界線」が明確に意識された・認識された、その感覚・視線に注目したい。

おそらく「あいさつを短く済ませ」てまでは境界線の認識は生まれていない。
ちょうど軽く会釈をして視線が相手の手元に届き、何となく違和を感じながら、視線を上げたとき一挙に境界線の認識は生まれたのだと思う。
ということは歌には書かれていないので想像でしかないのだが、歌に添っていけば、
「あいさつを短く済ませ曇天に」
までは、まだ認識は生まれていない。そして、
「傘を持たない」
という発見があり、ここで「東京の人(<私>は東京の人ではない)」という認識が生まれる。
もちろん「曇天に」は「傘を持たない」にかかる言葉だが、歌の中の時間でいえばこの三句まで間(ま)の時間がある、と読む。

口語で、重たくなく書かれている歌だが「東京の人」という認識と、その認識に至るまでの過程に、しっかりした視線(でかつ、微妙に曲がっている)がある。





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